Mag-log in足元にうずくまる凜ちゃんに、俺は何とも言えない多幸感に包まれていた。
「凜ちゃん、大丈夫?」
自分がそうさせているくせに、心配して見せると、凜ちゃんの肩が跳ねる。
それはどこか煽情的で、俺は喉を鳴らす。
だけど、そんな幸せな時間はすぐに終わった。
「せとっち! なにやってんだよ!」
機嫌がよかった俺に、人垣をかき分けて伊吹が駆け寄る。その後ろにはこの間、凜ちゃんとやり合っていた女がついてきていた。
「凜くん!」
そう言って俺の凜ちゃんに触れようとする。
「触んじゃねぇよ」
俺は相手が女だろうと容赦はしない。女の長い髪を引っ張ると、伊吹が止めに入った。
「おい! やりすぎだって!」
凜ちゃんを庇うような女も、伊吹も、どちらも気に入らない。
「やんのか、伊吹」
俺を見下ろす伊吹の胸倉を掴んで恫喝すると、その隙をついて女が凜ちゃんを連れ去った。
「あ、凜ちゃん!」
追いかけようとする俺を、また伊吹が引き留める。
「だから、落ち着けって。あの子の気持ちも考えてやれよ。こんな場所で、いきなりなんて、泣いてるかもしれないぞ?」
伊吹は眉を垂れて俺に言い聞かせる。
「泣いてる……凜ちゃんが……?」
そんなこと、想像もしなかった。
俺のものだって宣言すれば、きっと喜んでくれる。そう思っていたのに。
「はぁ……まさかせとっちがこんな行動に出るなんて……想定していなかった俺にも責任はある。一旦落ち着いて、それから謝りに行こう。ついていってやるから」
保護者気取りの伊吹を見上げ、俺は唇を噛みしめた。
高い身長、恵まれた体格、低くて男らしい声。
どれも俺には無いものばかりだ。今では凜ちゃんにも身長を追い越されている。
もしあのまま、幼稚園の頃のまま、一緒に成長していたら、凜ちゃんは俺から離れていたかもしれない。俺の腕を掴んだままの伊吹を見上げる。首を傾げる伊吹は、余裕があって、男気もある。
私達は4人で屋上に上がり、給水塔の影に陣取った。そこは人目につかず、落ち着いて話ができる場所だ。最初はみんな話のきっかけを掴めずに、視線だけが交差して、無言が続く。 その沈黙を、瀬戸先輩が破る。「最初に謝らせて。凜ちゃん、いきなりあんなことして……ごめん……」 そう言って胡坐をかいたまま、深く頭を下げた。「俺、凜ちゃんのこと思い出して、燻ってた10年間の想いが弾けたみたいになってさ……ずっと、探してた誰かを見つけることができて、本当に嬉しかったんだ。朝も言ったけど、誰にも取られたくなくて、宣戦布告……みたいな? ことしちゃった……凜ちゃんの気持ち考える余裕もなくて、ほんと、ごめん」 落ち着けば、こんなにも誠実な人なんだな、瀬戸先輩って。ちゃんと目を見て話してくれるし、誤魔化す事をしない。なぜ、手の付けられない不良みたいに思われているんだろう。「だけど正直に言えば、今もめっちゃキスしたい!」 にじり寄る瀬戸先輩に、由香里ちゃんが立ち塞がった。「アホですかあんた!? 今謝ったばかりで何言ってんの!?」 いや、うん。私もどうかと思う。私が口を開こうとすると、日下先輩が勢いよく手を挙げる。「はい! 次俺の番! 由香里ちゃん、いきなり追い回すようなことして、ごめんね。俺、本気だから。本気で好きだから、俺の彼女になってくれないかな……?」 今度は日下先輩がにじり寄り、私が由香里ちゃんを背中に庇った。「ちょ、ふたりとも落ち着いてください! これじゃ朝と変わらないでしょう? 江崎先生に言われて、分かったって言ったじゃないですか!」 ふたりはぐっと唸り、ポツリと零す。「それは……分かってる……分かってるけど、俺の気持ちも分かってよ、凜ちゃん。昨日、凜ちゃんを想いながら何回抜いたと思う? 5回だよ? 5回!」 いきなり猥談を始める瀬戸先輩に面食らい、顔が熱くなってしまう。「ちょ、何言って……!」 それでも瀬戸先輩は止まらない。「滅茶苦茶気持ちよくて、全然終わんないの……こんなの初めてで、どうにか
午前中の授業が終わり、教室が騒がしくなる。 朝から疲労困憊な私は、机に突っ伏し、しばらくぼーっとしていた。由香里ちゃんが振り向いて、前の席から腕を伸ばし、優しく頭を撫でる。「凜くん、お疲れ~。私もめっちゃ疲れた……ご飯どうする? 私お弁当だったんだけど、朝の騒動で壊滅的状況」 その言葉に小さく笑う。「私もだよ。購買にでも行く? あ……でも……」 そういえば、私、瀬戸先輩とお昼食べる約束してるんだった。(先輩、どう……するんだろう……) 江崎先生の仲裁で話し合う姿勢を取ってくれたけど、ふたりきりは不安も残る。たぶん私じゃ瀬戸先輩を止められないし、場所によっては逃げ出すのも難しい。 そんなことを考えていると、由香里ちゃんが肩を叩いた。顔を上げると、廊下を顎で指して呟く。「凜くん、あれ……」 その視線を辿れば、廊下の窓際に瀬戸先輩が立って、じっと私を見つめていた。その眼差しが真っすぐで、どきりと心臓が跳ねる。視線が合うと、ふわりと微笑んだ。それがあまりに可愛らしくて思わずうなってしまう。「ぐぅ……っ、先輩、あざとすぎる……!」 それを見て、由香里ちゃんが呆れた声を出した。「なんだかんだ言って、凜くんも瀬戸先輩好きだもんね。最初はお人好しな間抜け、なんて思ってたけどさ。凜くんは、見た目で判断される苦しさを知ってた……それなのに私は……」 暗くなる由香里ちゃんに、私は慌てて首を振る。「そんな風に言わないで。今はこうして、友達になってくれたんだもん」 そっと小さな手を握ると、頬がうっすら色ずいてはにかむ。「うん、ありがと。私も、凜くんのこと知れて嬉しいんだ。ただの『王子様』じゃない凜くんをね」 ふたりで笑い合っていると、廊下から焦れたような声が響いた。「凜ちゃん! お昼、一緒に食べよ。約束、まだ有効だよね?」 そう言って掲げた腕には、購買の袋が下がっている。妙に膨れたそれを示しながら、上を指さす。「屋上、行こう。ちゃんと話したい」
先輩達が追い出され、やっと静かになった教室で、江崎先生は教壇に立つと生徒に視線を巡らせた。「さて、君達。まさか他人事だと思っていないかい?」 唐突な言葉に、教室がざわめく。「あのふたりは少し特殊だけど、ああなる可能性は君達にもあるんだよ。それは生物として、何らおかしなことじゃない。好きな人と結ばれたい、繋がりたい。誰でもそう思う。でもね、それは相手があってのことなんだ。相手の意志を無視して、無理矢理……なんてことしでかしたら、豚箱行だよ?」 にこりと笑って、物騒なことを言い始める先生。それに由香里ちゃんが疑問の声を上げた。「先生……なんか、いつもと雰囲気違うような……」 そんな言葉に、先生は何故か照れながら頬を掻く。「あ、ごめん。僕も昔はやんちゃでね。彼らの気持ちも、よく分かるんだ。ほんの少し大人に抵抗しただけで、不良の烙印を押されてしまう。ただ自己主張したいだけなのにね。大人にとって、それは不都合なことなんだよ。普通という言葉で管理しようとする大人には、ね」 なんだか少し寂しそうな表情で、先生は笑う。 でも、分かるような気がした。 私はお母さんの言う通りに生きてきた。習い事も、ヘアスタイルも、服装も……部屋のインテリアさえ、お母さんが選んだものだ。家に帰っても、くつろげる場所がない。 私はそれに逆らえず『王子様』を演じてきたけれど、先輩達はちゃんと言葉にしてきたんだ。「だから、僕は教師になったんだ。少しでも君達の気持ちを和らげようと、大人への橋渡しに鳴れればいいとおもってね。上手くできないことの方が多いけど、瀬戸くん達はああして僕の言葉を聞いてくれる」 いや、それはちょっと違う気もする。どちらかというと怯えていたような。 それは他のクラスメイトも思ったようで、小さなさざめきが広がった。「まぁ、何が言いたいかというと、何か困ったことがあったら、僕に相談してほしいってことなんだ。僕じゃなくてもいい、誰か信頼できる大人がいれば、その人に相談してごらん。そうすれば、瀬戸くん達みたいに暴走することも減ると思うから」
教室中の視線に刺されながら、日下先輩はおずおずと口を開いた。「あの、すっごい好みの子だな~なんて、思いまして。いても立ってもいられなかったと言いますか……由香里ちゃん、ごめんなさい! マジで好きなんだよ~」 すがるようにして腕を伸ばす日下先輩に、由香里ちゃんはうげっと声を上げる。「いやホントにキモイから! なに、その好みって……ビッチなら誰でもいいってこと? サイテー」 虫でも見るような視線で日下先輩に辛辣な言葉を投げると、先輩はぶんぶんと首を振った。「違う! 見た目はめっちゃほわほわなのに、中身が意外と凶暴なとこがいいの! あー……マジで可愛い……」 ふらふらと近寄ってくる日下先輩に、由香里ちゃんが悲鳴を上げる。次の瞬間、出席簿の角が見事に日下先輩の頭頂部にヒットした。痛みでうずくまる日下先輩を見下ろしながら、江崎先生が頭を掻き思わずといった風に零す。「おっと、いけない。昔の癖で……最近は何でもすぐ体罰って言われちゃうから、困ったものだよ。ね、日下くん?」 にこりと笑う江崎先生は、まだ出席簿を頭上に掲げたまま、日下先輩に向かって首を傾げる。それを見た日下先輩は慌てて居住まいを正した。「ご、ごめんなさい! 若気の至りって奴ですよ! 思春期男子の性って奴! 先生にも分かるでしょ!?」 昨日もそうだったけど、日下先輩って見た目が大きいだけで、意外とまともっぽい? だけど由香里ちゃんは腕をさすって、日下先輩を気味悪そうに見ていた。「うわ……マジもんの変態じゃん……」 そんな心ない言葉に、日下先輩は涙を滲ませて赦しを乞う。「だから違うって! 俺もこんなになるの初めてなんだよ! こんな好みドンピシャの子なんて、そうそう出会えるもんじゃないし! チャンスを逃すなんてありえないでしょ!?」 なんだろ……最初は頼もしいな、なんて思ってたのに、印象がガラリと変わってしまった。それは瀬戸先輩もそうだけど、やっぱり表面だけじゃ分からないのは、誰でも同じなんだな。 ふたりの先輩、そして江崎先生も。 先生は
しんと静まる教室に、江崎先生の追及が響き渡る。「ねぇ、瀬戸くん。君は僕と約束したよね? もう無茶をしないって。僕は君が優しい人だと知ってる、日下くんもね。だけど……女の子を怖がらせるのは見過ごせないなぁ」 にこやかに笑う先生に、日下先輩が慌てて前に出た。「いや、これには事情があって……!」「事情? どんな事情があったら、早朝の昇降口で公開キス……なんてことになるのかな?」 その視線は瀬戸先輩に向けられ、首を傾げる。 瀬戸先輩は気まずそうに視線を泳がせ、言い訳じみた言葉を口にした。「そ、それは……だって、他の奴に取られたくないからで……」 さっきまでと違う気弱な態度に、私は由香里ちゃんと視線を交わす。「え、なにこれ……なんか江崎先生怖くない……?」 私に身を寄せて囁く由香里ちゃんに、こくこくと頷き同意した。「う、うん……妙に迫力があるって言うか……それに先輩達の様子も変……だよね……?」 教室の前方で繰り広げられる問答に、クラスメイト達も固唾を呑んで見守っている。 江崎先生はふぅ、と溜息を吐いてとんとん、と指の先で教壇を叩き、瀬戸先輩に柔和に細められた目を向けた。「君、ガキだねぇ。まるで、オモチャを取られたくない幼稚園児のようだよ。新堂さんはひとりの人間なのに、自分勝手な独占欲で振り回すのはよくない。君はまず、新堂さんと落ち着いて話すべきだと思うけど、どうだろう?」 柔らかい声なのに、有無を言わせない力強さを込めて江崎先生は提案する。私は正直、そんな言葉に乗るなんて思わなかった。 だけど――。「くっ……分かったよ……あんたには貸しがあるし、俺だって凜ちゃんを困らせたい訳じゃない」 大人しく引き下がる瀬戸先輩に、思わず拍子抜けしてしまった。ちらりと私に視線を向けると、先輩は私を見つめる。「凜ちゃん……ごめんね……俺、ちょっと焦ってた……これからは暴走しないように気を付けるから、だから嫌いにならないで」 その言葉に、私は呆気に取られてしまった。まるで
一目散に逃げだした私達は、必死に教室を目指す。「凛ちゃん! なんで逃げるの!?」「由香里ちゃん! 待って!」 背後から迫る声に熱いはずの身体が冷えていく。「ちょ、なんで私まで!?」 由香里ちゃんは背が小さいから、足がもつれそうになっている。私は思い切って由香里ちゃんを抱き上げ、そのまま走った。 肺が痛いくらいに荒い息を吐く。「凜くん……!? 降ろして! たぶん私より凜くんの方が危険だよ!」 心配する由香里ちゃんに小さく笑って答えた。「大丈夫、無駄に鍛えてないよ。今こそ『王子様』を発揮するシーンじゃない?」 私は初めて、自分から『王子様』を選んだ。剣道部で鍛えているんだから、小柄な由香里ちゃんくらいなら軽い。 背後からは、相変わらずふたりの声が追ってくる。瀬戸先輩は足が速いし、日下先輩は身長から言っても歩幅が広い。追いつかれるのも時間の問題だ。 迫ってくる声を振り切り、走りに走って教室まで辿り着くと、倒れるようにして由香里ちゃんを降ろし、引き戸を開き駆け込んだ。大きな音を立てて閉めると、背中をもたれて肩で荒い息を吐く。「凜くん! 大丈夫!?」 声が出せずに頷いて応えると、教室の視線が集まっていることに気づく。教壇にいた江崎先生が、ホッとしたように声をかけてきた。「ああ、ふたりとも……どうやら無事みたいだね。心配してたんだよ。まぁ、追ってくるとは思うけど、僕がバリケードになるから、席について息を整えて」 あれだけの騒動を起こしたんだから、クラスのみんなも口々に心配してくれて、由香里ちゃんに支えられながら席につくと、ぱたりと突っ伏した。「ごめんね、私のせいで……お水、飲む?」 由香里ちゃんが差し出したペットボトルを受け取り、小さく笑う。「ありがと……由香里ちゃんのせいじゃないよ。そもそも瀬戸先輩が事の発端だし……」 そう言いながら水を口にしようとした、その時。 バタバタと足音が響き渡り、







